2011年04月30日

ばあちゃんゆずり

私は毎朝起きるとまず、ラジオをつける。NHK第一放送である。6時半のラジオ体操になると、音がやかましいので、一旦消す。そして終った頃またつける。第一だと確実にニュースが聞けるのと、CMがないのでうるさくないのと、音楽が好きなのとで、他の局に変えたことはない。いつ頃からか忘れたが、これが朝の習慣になっている。数年前に亡くなったばあちゃんも、朝は必ずラジオをつけて家事をしていた。ばあちゃんゆずりか?ばあちゃんは音量をかなり上げて聞いており、ラジオ体操がうるさくせわしなかった。私にとって、ラジオ体操は夏休みを象徴するものだったので、夏休みでもないのに、(夏でもなく)あの音楽が流れると落ち着かなかった。他にも私が今習慣としてやっていることや、なんとなくやっていることはばあちゃんゆずりのものが多い。時々昔の写真を眺めるのは、ばあちゃんもよくやっていた。あいそんなあなったら見るがやと言っていた。あいそんないとは、富山便で「つまらない」「おもしろくない」「さびしい」などが混ざった感情を意味する。私も同じである。なつかしいというよりも、日記を読み返すようなもので、そのときのことを思い出すと、なぜかがんばろうと思える。なんでももったいながってとって置いたり、度を越えた使い回しをするのも、ばあちゃんといっしょである。ばちゃんは、「やさしいおばあちゃん」というかんじではなく、田舎のきか〜んかんじのばあさんだった。生きているあいだは特に好きでも嫌いでもなく、ただ私のばあちゃんであった。あまり気が利くほうではなく、ややがさつで他人への配慮に欠けるところがあった。私といっしょである。ばあちゃんとのよき思い出というのはほとんどない。私が小学3年の頃、いっしょにマカロニグラタンを作ったことがる。365日のおかず百貨という本を見ながら、二人で悪戦苦闘していた。私もばあちゃんもグラタンなんてものは知らなかったのだから当然だ。すでに火が通ったものをさらに焦げ目をつけるため、オーブンに入れるということが理解できず、ホワイトソースで混ぜただけで済ませた。初めてで、焦げ目をつけていないグラタンではあったがおいしかった。これをよき思い出としておくか。
posted by ゴブリン at 21:45| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月31日

地震が起きたらまずどうするか?

きょう本屋で、子供向けの地震の本を読んでいて、ほとんど質問に答えられなかった。電車に乗っているときに地震が起きたらどうすればよいか?3択のなかの、出口に向かって走るを選んだら、間違っていた。手すりにしっかりつかまるが正解だった。エスカレーターに乗ってるときも同じらしい。急に止まったときに、倒れるのを防ぐためだ。デパートなどでは、壁伝いに歩かないといけないらしい。おおぜいの人が一斉に同じ方向に殺到するため、人の波に呑み込まれ、転倒などしたら踏みつけられる危険大なので、通路の真ん中は避けねばならないとのこと。それに、壁伝いに歩けば必ず出口があるからだ。エレベーターにのってるときは、全ての階を押して、止まった階で降りる。なるほど。今現在どの階にいるのかとっさにわからないし、止まらない階もあるからね。私は1階を押しそうだ。だめだ、全然なってない。トイレは倒れてくるものがないので、比較的安全なので、トイレに入っていたら、とりあえず中から様子を伺うというのがいいようだ。危機管理と簡単に言うけれど、これほどできないことはない。自然災害だけでなく、なんでもそうだ。自分だけ大丈夫症候群なんだろうか…
posted by ゴブリン at 21:35| Comment(0) | 地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

地震が起きたときはこうしないと助からない!!

masaさんのブログで地震に関する貴重な記事をみつけたので紹介します。


(ここから)
私は、アメリカ国際レスキュー隊の隊長で災害担当責任者のダグ・コップです。アメリカ・レスキュー隊は、世界で最も多くの経験を積んだ救助隊です。

私は60カ国で組織されている国際レスキュー隊のメンバーと共に、1985年以降ほとんどの主だった災害の救助活動にあたり、875もの崩壊したビルに入りました。

私が初めて救助活動にあたったのは、1985年のメキシコ大地震のとき、メキシコシティーの小学校でした。子供たちは皆、机の下敷きになっていました。この子供たちが、もし、机と机の間の通路にいたなら助かっていただろうにと思うと、私は本当にいたたまれませんでした。

ビルが崩壊して、天井が落っこちてきたときは、テーブルや家具などを押しつぶし、その隣には空間ができますが、その下に空間ができることはありません。絶対にテーブルや机の下に入らないでください。家具が大きかったり、強度があればその横に空間ができるのです。

この空間こそが「命の三角形」です。そして、この空間に入り込めば助かる可能性が高くなります。実際崩壊したビルにはこの「命の三角形」がたくさんあります。地震のときは以下の注意を守ってください。

・ほとんどの人は、地震のとき、四つんばいになったりして机やテーブルの下にもぐりこむが、これでは崩落したときには助からない。地震の際すぐに外に出ることができなかったら、近くにある大きくて強固な家具(机、テーブル、ソファ、ベッドなど)の横で、胎児のように丸く、なるべく小さくなってうずくまること。この体勢をとると命の三角形の中で助かりやすい。

・夜、ベッドで寝ているときに地震が起こったらベッドから下りて、ベッドの横で、胎児の体勢をとること。ベッドの横は、命の三角形ができやすい場所である。全てのホテルのドアに、このことを明記したなら地震の際のホテルでの生存者が飛躍的に増えるだろう。

・地震のときは、ドアから離れること。ドアのそばにいる人は、助からない場合が多い。

・なるべく、建物の中心から遠ざかること。外壁に近いほど、助かりやすい。

・車に乗っているときは、崩落した道路や落下物の下敷きになることがあるので車からは直ちに降りて命の三角形ができる車の横で座るか横になること。
・木造家屋が実はいちばん安全。木は地震で動いたり、しなったりするので崩壊しても大きな空間を作りやすいし重さが分散される。
(以上、ここまで転載)


全然知らんかった!!テーブルとかベッドの下にもぐればいいとばかり思ってた!!木造は崩れるし危なくて、鉄骨や鉄筋コンクリートは丈夫でいいとばかり思ってた。ダイワハウスなんかは阪神淡路大震災のあと、そうとう売れたらしいよ。住宅展示場へ行ったとき、営業の人言ってたもん。うちのは地震に強いですよ〜って。鉄骨造りの建物が崩れるような想定外の大地震が起きたら余計危ないのか…
posted by ゴブリン at 11:06| Comment(0) | 地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月30日

古いお家よさようなら、ありがとう

3月いっぱいで、古い家の電気・ガス・水道が止まってしまう。20年近く住んだ思い出のつまった(どんな思い出だ?)愛着のある家ともいよいよお別れである。引越しは24日に済ませたが、インターネットの工事のことをすっかり忘れていて、毎日古い家に通ってブログの更新をしていたのである。ガランとしたキッチンはさびしい。(ほんとは片付けが間に合わなくてまだ雑然としてるが)2階の部屋は寝るだけの部屋だったせいか、ヨゴレがあまりなくキレイである。引越ししてきた頃を思い出す。まだ物が少なくすっきりしていた。今後20年間はとにかくもう物をふやさないようにしようと思う。60歳で大掃除はきつい。第一だんなの介護に追われているだろうし、自分が老人ホームに入るとなったら、もう誰も片付けることなどできない。古い家は売りにでているが、おそらく売れないだろう。更地にして駐車場にでもするか。お金に余裕があれば改装して貸家にするか、もっとお金があれば3階建てのおもしろい家を建てたいのだが、夢である。それよか、今月いっぱいで水道が止まるのに掃除まだ全然出来てない…どうしよう…立つ鳥むちゃくちゃ後を汚しまくるだ
posted by ゴブリン at 20:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

有事になれば人間の本質が見えしまう

うちのだんなが、何度も言っている。「東北の人というのは本当に辛抱強い」と。被災した人がインタビューを受けているのを聞くと、確かにそうなのだ。これだけの被害を受けながら、全てを失いながら、泣き叫ぶこともなく、大声でわめくでもなく、窮状を声高に訴えるでもなく、ただただ耐えているというかんじがする。ちょっとしたことで、ヒステリックになり、パニックに陥る私やだんなは、これら東北の人たちには畏怖というか、近寄りがたいものを感じる。冷静というのとは違うのかもしれない。なにも静かだからいい、ぎゃあぎゃあ騒がないから偉いといってるわけではない。なんか腹のくくり方が違うというか、生き方が違うというか…私はまだこのような試練といえるほどのものは経験したことがない。だが、こういったときにこそ、人間性が問われるのかもしれない。中国人のブロガーがサイトで「日本人の災害時の冷静さには驚く」と書いている。四川大地震のときは、買いだめする人が多く、大混乱だったとのこと。普段どれほどいいことを言っていても、立派なことを言っていても、有事になれば本質が見えてしまうのだろう。私はどうだろうか。普段えらそうなことや人を思いやるようなことを言っているが、自分の身が危なくなったらどうだろう?他人を差し置いて、他人を出し抜いて、自分さえよければの根性が丸出しになるのだろうか?正直なところどっちに転ぶのかわからない。有事には悪人になると観念し、せめて平時に善人であるよう努力したほうがいいかもしれない…
posted by ゴブリン at 20:35| Comment(0) | 地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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