2011年06月25日

クレーマーはなぜクレームをつけるのか

苦情に関する記事を紹介します。週刊ダイヤモンドに掲載されているもので、苦情・クレーム対応アドバイザーの関根真一さんが書いています。

 世の中、苦情・クレームが大流行りである。拙著『となりのクレーマー』の出版は2007年のこと。それ以降、メディアでいわゆる「クレーマー」が頻繁に取り上げられるようになった。理不尽なクレームに関する記事が新聞紙上に多く登場し、テレビの特番では2〜3時間にもわたって数々のクレーム再現ドラマが放映される。「最近、クレームやクレーマーが増えている」といった実感が広がる理由の一つには、こうしたメディアによる喧伝があるのかもしれない。

 とはいうものの、私たちはクレームについて、どれほどのことを知っているだろうか。

 それを測るために、次の8つの質問に、○か×で答えてみていただきたい。

(1)苦情を最もよく言う年代は40代である。
(2)相手の性別によって、苦情対応の方法を変える必要はない。
(3)苦情の解決として誠意があると評価されるのは、お金による解決だ。
(4)苦情の原因で最も多いのは、苦情を言う人の勘違いである。
(5)苦情の原因のうち「苦情を言う人の勘違い」は3割を超える。
(6)怒鳴られた時に怯えやすいのは、関東より関西の人だ。
(7)最も苦情をよく言う職業は、教師である。
(8)平均して、いやな思いを6回すれば苦情を言う。

 さて、それぞれ○か×のどちらだと思われるだろうか。一見、簡単そうに思えるが、よく考えてみると案外知らないことが多い。

 実は、正解は8問ともすべて「×」である。実態は次のとおりだ。

(1)苦情を最もよく言うのは60代である。
(2)苦情対応の方法は、相手の性別によって変えるべきである。
(3)苦情の解決として誠意があると評価されるのは、「正直」なことである。
(4)苦情の原因のトップは、「相手(客)に対するこちらの配慮不足」である。
(5)苦情の原因のうち「苦情を言う人の勘違い」は23.1%。3割には届かない。
(6)怒鳴られた時に怯えやすいのは、むしろ関東の人である。
(7)最も苦情をよく言うのは行政に携わる人である。
(8)平均して、いやな思いを4.63回したら苦情を言う。


私は今までの経験から(苦情を言ったり言われたりという経験)ほぼ正解であった。いわゆるクレーマーは増えていると思う。モンスターといわれるような人も増えていると思う。それでもやはり、相手に対する配慮のなさというのは、自分が苦情を言うにしろ、自分が苦情を言われるにしろ、感じる。ほんのちょっとした配慮が足りなかったばかりに双方が嫌な思いをしなければならなくなるのだ。私はここ10年近く、保育士や介護士として仕事をしている。保育業界、介護業界共に相手(今では、相手はお客である)に頭を下げることの非常に少ない世界である。頭を下げるのはもっぱら相手である。しかし、やはりこのご時勢である、施設に対し物申す人は増えてきている。保育士も介護士もまるで飼い犬に噛み付かれたかのように大騒ぎしている。そうかと思えば、措置から契約に移行したのだから相手はお客様だと言って、やたらとへりくだってみたり…慣れてないんだからしょうがないけど。今いる介護施設では、バレてないからいいようなものの、ミスや不都合なことを隠し通すことでクレームを押さえている。だが、少しトラブッたら利用者や家族はいつもこう言う。状況が全くわからない。説明が少なすぎる。質問に答えてくれない。当然である。隠しているのだから。なお、老人ホームなどでは、このような人をクレーマーと呼ぶ。
posted by ゴブリン at 12:24| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月23日

プロの仕事ってどんなん?

ある介護関係の掲示板で、利用者さんの呼び方について議論が白熱している。60以上のレスがついている。私も参戦したが、結論はなかなかでない。そうこうしているうちに、職員の服装や喫煙についてのスレッドが立ち、なんかこっちも長引きそうな気配がある。すでに10近いレスがついている。私もだまってはいられない性質なので、一言言いたいのだが、なんかこっちのは裾野があまりにも広がりそうで、参戦を決めかねている。ところで、利用者さんの呼び方のところで、60近いレスを読んでいて気づいたことがある。皆「プロ」という言葉をよく使っている。福祉のプロとして丁寧な言葉を使うの当たり前とか、きちんとした言葉を使わないのはプロ意識の欠如であるとか。プロというのは、その仕事によって報酬を得ているということだ。となれば働く人はみなプロになる。だが、プロという言葉はそれほど一般的ではなく、限定的に使われていないだろうか。例えばスポーツ選手や音楽家、棋士などだ。特殊な才能が必要な職業についてプロという言葉を使っているように思うのだが。高度な技術を必要とする仕事であっても、医者や弁護士などはプロという言葉とは無縁ではないか。プロの教師、プロの美容師、プロの事務員、プロの販売員、プロのウエイターなどもあまり聞かない。はて?介護の仕事はプロの仕事か?お金をもらわずにやってる人もいる仕事に対して使われるのか?スポーツや音楽、将棋、囲碁などもそうだな。お金をもらってやるのが当たり前の仕事、例えば店員などはだからプロとは言わないのか?う〜〜ん、わからなくなってきた。だが、ひとつ思うことがある。報酬を得るというのはそれほど大したことなのか?私お金稼いでます。それってそんなに胸を張ることなのか?そうなんだろう。自分で喰えるってことは自立してるってことだからな。でもほんとにそうかなとも思う。主婦の仕事についてよく言われることだが、ただでやる家事は価値がなく、どこかの家事を仕事としてやって報酬を得たらそれは価値のあることなのだろうか。違うだろ〜〜。でもどう違うのかよくわからないよ。介護も同じさ。人様の世話をして報酬を得たら立派なプロの仕事で、家でばあさんの介護をしてるのはただの世話とか…んんん〜〜実はみなさんのプロとしての意識にちょっと違和感があるのです。でもそれをうまく言い表せない。
posted by ゴブリン at 18:42| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月31日

紙を捨てたら罰が当たる

週刊ブログテーマ
今回のテーマ:こんな節約してます
紙をすんなり捨てることができません。小さいときから絵を描くのが好きで、頭の中で物語を作りながらチラシの裏に女の子の絵をよく書いていました。落書き帳(わら半紙)なんて贅沢なものはほとんど買ってもらえませんでした。なので裏が白いチラシは貴重品でした。今でも裏が白いものは(無地のもの)何かを書くまでは絶対に捨てられません。じゃあ無地じゃなきゃ捨てられるのかっていったら、もちろんただ燃やすなんてのはもったいなくってできません。ゴミ箱を折ったり、野菜を包んだり、ヨゴレ物を拭いたり、とにかく何かに使用しないことには捨てられないのです。その前に読むことはもちろんです!こんな調子ですから6〜7年前にプリンターを購入した際に一緒に買ったB5やA4の用紙は全く減りません。それでいて使いもしないレターセットやポストカードはよく衝動買いをして増えていく一方です。ダイレクトメールの封筒でさえ捨てられずに溜め込んでます。A5のノートはよく使うのですが、次々に新しいものを買うのでストックがいっぱいあります。紙ってほんとうにワクワクするものです。鉛筆やボールペンなどが山ほどあるのは言うまでもないです。当然ながら捨てられません。ちびちびになった鉛筆が箱にいっぱいあります。「書くもの」が好きで好きでしょうがないのです。ステーショナリーっていうのかな。ここまで書いて気づいたが、全然節約の話じゃない!仕方がないので、ビニール袋にする。これは節約してる。ただ捨てるなんてもったいなくってできないよ〜〜って、あれっ?これも捨てられないって話になるのか…
posted by ゴブリン at 23:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月30日

じいちゃんは働き者である

小学生の頃、お手伝いといえば玄関掃除だった。お手伝い=玄関掃除と思い込んでいて、何の疑問も感じていなかったが、玄関掃除にはわけがあった。我家では、じいちゃんが朝早くに、自分たちの部屋から順々に箒で掃いていき、玄関に最終ゴミを落としていたのだ。その最後のところを子どもたちの仕事にしてあったのである。なるほど。じいちゃんが箒でシュッシュッと掃いている姿がなつかしい。じいちゃん=掃除する人であった。じいちゃんは働き者だったようだ。庭の花木の消毒も、背中に機械を担いでよくやっていた。柿やイチジクなどの果物も作っていた。特に葡萄をいっしょうけんんめい作っていたようだが、おいしい葡萄を作ることは素人には難しかったみたいだ。真っ黒で種のいっぱ〜い入った小粒のすごくすっぱい葡萄をよく食べた。長い間葡萄というのはすっぱくておいしくないものだとばっり思っていた。ある日お母さんがぶどう園に連れて行ってくれた。そこでだされた葡萄は形こそ我家で食べるものと変わりはないのだが、信じられないくらいおいしいのである。甘いのである。葡萄が甘くておいしいものだと初めて知ったわけである。目からウロコじゃないが、摩訶不思議な気分だった。今は種無しの葡萄が多く、それが主流のようだが、あの当時種無しはデラウエアだけだった。甘くておいしくはあるが、皮も薄く、食べ応えがないなあと思っていた。私にとって果物は、腹が減ったときにしかたなく食べるものであった。そして小さい頃から果物イコール甘いではなかったので、今でもフルーツはあまり好きではない。すっぱくないのはわかっていても、ケーキにのっていると、余計なもんのせてと思ってしまう。以上果物にまつわるじいちゃんの思い出でした。
posted by ゴブリン at 22:16| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イチジクにはカエルが入っている?

小学生の頃、じいちゃんは瀬戸裏で葡萄を作っていた。真っ黒で、種のいっぱいあるすっぱい葡萄であった。なので葡萄というのはすっぱいものだと思っていた。お母さんが近くのぶどう園に連れて行ってくれ、そこでデラウエアを食べたときには、たまげた。ぶどうって甘いんや!種ないんや!ってかんじだ。我が家では他にも、イチゴやイチジクなどを作っていた。イチゴは小さくて、じゃがいもみたいにでこぼこで、白いところと赤いところがまだらで、すっぱかった、なのでイチゴは砂糖をかけて食べるものだと思っていた。スーパーで売っている細長い赤い(女峰か?)イチゴを初めて食べたときは、別の果物かと思った。砂糖かけんでも甘い!ってかんじだ。私は今でも細長いあの形はニセモノのようにかんじる。イチジクは2階の窓から眺めたところ、甘くておいしそうに見えた。だが、お父さんから「パカーンと割れたとこからカエル入っとる」と脅され、イチジクはカエルが中に入っているので食べられないのだと本気で思っていた。後でわかったことは、イチジクはやはり、見た目どおり一番甘かったのである。私の実家は兼業農家で、米の他野菜や果物も作っていたので、店で買うということがあまりなかった。小学3年の頃、理科の実験で使うため、イチゴなどの空きパックをもってくるよう先生に言われた。家に帰ってお母さんに伝えるが、そんなもん家にない、とにべもない。先生にそのとおり言うが、持ってこなかったと言って怒るばかりである。お母さんに、先生に怒られた〜と訴えるが、ないもんを持って来いと言う先生が悪いと、取り合ってくれない。当時はお母さんを恨んだが、今考えたら悪いのはやはり先生だ。でも私は担任のその先生が好きだったので、お母さんが悪者に見えた。他にもお母さんが悪者に見えることが多々あった。子どもって見栄っ張りで自己中だからね。私はこどもがいなくて幸いだ。いたらどれほど悪者と思われていたか。
posted by ゴブリン at 22:08| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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