2012年02月28日

仕事と子育て、どっちも大事

保育所でもらってきた「はっぴーママ」というフリーペーパーに、仕事と子育てを両立させているワーキングママが紹介されていた。学習塾の個別指導をしている人で、仕事の時間帯が午後3時頃から夜の9時過ぎなので、夜間保育所に子どもを預けている。こどもはまだ1歳になってないようです。ある日のスケジュールは、21時半に退社・お迎え、22時入浴・夕食準備、22時半寝かしつけ・夕食、23時半就寝となっていました。仕事の都合上仕方のないことだし、夜に強い人なのだと思うが、バリバリ朝型で、8時に寝て3時前に起きる私には「信じられない」という生活パターンでした。(私の場合、子どもが早くに寝て、早くに起きるためこうしているのだが)正直なところ、子どもを夜間保育所に預けてまでしなきゃならない仕事って…と思わないでもないです。でもこれって、たまたま自分の場合、子どものために仕事を辞めることができたし、辞めてもいいと思える仕事だっただけで、人にはそれぞれ事情があるし、その人なりの仕事に対する思いというものがあるわけです。そういったことを考えないで、夜間保育=子どもがかわいそう、そこまでしてやる仕事?などと、正義ぶって親を批判するのは、簡単ではあるけれど、それこそエゴかもしれないです。実は数年前、臨時保育士として働いていた保育所は、夜間保育もやってました。昼と夜は完全に分かれていたので、詳しいことはよく知りませんでしたが、内心ではこどもがかわいそうだと思っていました。でもサービス業に従事する人は多いし、役所時間に仕事の終る人が買い物したり外食したりできるのは、そういう人がいるからなのです。それなのに、そういう人たちを、子どもを預けてまで夜仕事なんてかわいそうと言うのは、ほんと勝手なもんです。私はいまのところ無職でのんびりしているけれど、3月からは訪問介護と見習いケアマネ、4月からはフリーのケアマネとして働く予定なので、キレイごとは言っていられなくなるだろうと思う。だんなからは、「仕事始まったら、家のことやら、子どものことやら大変じゃない?仕事するようになっても、あんましイライラせんといて…」と言われています。ご飯の用意や後片付け、洗濯物を干してるとき、子どもがぐずってるときに、パン焼いてーとか、お茶淹れてーとか言わなければイライラすることもないんやけど…やっと子どもを寝かしつけた直後に、掃除機かけたり子どもの顔さわって遊んだりしなければ泣きたくなることもないんやけど…
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2012年02月22日

わが家のさーちゃん

さーちゃんがわが家にやってきて3週間が経つ。今朝朝ごはんを食べた後も、だっこだっこと言うのであれっ?と思った。起きてしばらくはだっことおんぶだが、いつもならご飯の後は、極楽トンボのようにご機嫌さんで遊び始めるのだ。私が顔を洗って化粧をするときも、黄色い踏み台をもってきて横に立ち、「さーちゃんする!」と、ボトルの蓋をしめるのが最近の習慣であったのだが、今朝は違った。ふんふんふん…となにやら鼻を鳴らして泣きべそをかいていた。熱でも出るのかなとちと心配になった。それでも保育所へ行く準備をしだすと、「さーちゃんもいっしょに行く!」と、嬉しそうに言うので、大丈夫かなと思った。保育所に行くって理解してないようなかんじだったので、すこーし心配してたら案の定、車から降りるのを嫌がった。だっこで降ろすが、「お友達イヤ」と言って、玄関に入ろうとしない。今までは歌を歌いながら「お友達おはよ〜」とか言って走ってお部屋に行ってたのに…あとでお母さんといっしょにお雛様出そうね〜とか言ってなだめすかしてなんとか部屋に連れて行く。しかし、おかあさんといっしょに遊ぶとか言って、なかなか離れてくれない。珍しく登園拒否があったことを担任の保育士に言うと、「やっぱりー?昨日からその兆候はありましたよ〜」とのことである。子どもには普通にあることなのだが、さーちゃんの場合、最初後追いらしきものがほとんどなく、お利口さんだったそうだ。それが、昨日からは、数回「お母さんは?」「お母さん来る?」と不安そうに聞いてきたとのこと。
私は泣かれたら困る、少し息抜きしたいと、そんなことばっかりを考えていて、さーちゃんがお利口さんなのをありがたがっていた。自分が担当保育士の立場であれば、普通の子との違いにすぐに気づいただろうと思う。まだお母さんと関係ができていないんだな、いつ泣き出すかなって、注意深く見守ったと思う。でも、母親という当事者になったら、自分のことで手一杯で、客観的に見ることができていなかった。保育士だった頃は、温かい目で母親を見ることができず、批判的であったが…ひどい保育士だった。
さーちゃんが少しオモチャに興味をもって離れてくれたのをいいことに、「お願いします」と言って、逃げるように保育所を後にした。本当は、泣かれてでも、きちんと「お母さん、行くね」と子どもに言うべきなのだけど、私はそれができない…今日は早めにお迎えに行こう。
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2011年11月16日

子どもがもっている大人にはない能力

この間、2歳半くらいの子と公園に行った。わが家に養子として迎える予定の女の子である。現在市内の乳児院で養育されている。私はどんぐりを一緒に拾おうとか、紅葉した楓のはっぱを見せてあげようなど、いろいろ「経験させてあげる」ことを考えていた。私自身その乳児院で保育士として働いていた経験があり、施設の子が圧倒的な経験不足であることを知っていたからだ。まずは、お店デビューだ、とばかりにミスタードーナツへ連れて行った。緊張した面持ちで、ストローを珍しそうに触っていた。ストローでミルクを飲むことはできず、コップに移し変えてあげた。隣の席に、同じような年頃の男の子がいて、その子のリラックスぶりと対照的だった。だんなは、こういうとこ慣れてないんやな、これからもっと連れてきてやらんとな、と言っていたが、私はその考えにちょっと疑問を感じた。3歳にもならない小さな子がレストランなどで、無邪気にはしゃげるのがそんなにいいことだろうか?乳児院に勤務していた頃も、職員間では、おうちの子はもっと遅くまで起きているだの、もっと市販のお菓子を食べている、だから施設でも規制を緩めるべきだ、いや、それはよくないなど、議論はされていた。子どもの成長に必要なことは家庭であっても施設であっても同じだと思うが、「施設=悪い、家庭=良い」という単純な図式がまかり通っているように思う。施設における問題は、今やそのまま家庭における問題となっている、と思う。例えば施設では、どうしても人手が足りず、世話が行き届かない。愛情不足はいたしかたがない。だが、これは家庭であっても同じではないか。物質的に恵まれても(この点、今は施設でもそれほど欠乏していない)精神的に孤独な子どもは多いと思う。施設=かわいそう論は根強いが、そうではないのだと言いたい。今回書こうと思っていたのは、このことじゃないのに、導入部分で長くなってしまった。
公園でのことである。どんぐりを拾って、どんぐりだよって見せると受け取るのだが、落ち葉など他のものを見せると、もっていたどんぐりをポイって放ってしまうのだ。長い間保育士の仕事から遠ざかっていたので、忘れきっていたが、この月齢だと、まだ両方受け取ることができないのだ。3歳を過ぎると、もう一方の手で受け取ったり、ポケットに入れたり、他の人に「これもってて」ってお願いしたりするのだが。自分では持ちきれないのに、いくらでも欲しがるのが人間である。だが、生まれついてのものではないのだ。成長することで得る能力なのだ。能力があることが必ずしもいいとはいえないよい例である。新しいものを得たら、持っていたものを躊躇なく捨てられるなんて、これはすばらしい。子どものもつ能力と大人の持つ能力は違うものらしい。
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2011年09月09日

紙を捨てよう!旅に出よう!

週刊ブログテーマ
今回のテーマ:捨てられないもの

裏面が白い紙とか、プレゼントを包んだリボンとか絶対に捨てられません。おばあちゃんと一緒です。最後にはゴミになるんだから、最初っから捨てとけばいいのに…と思うかもしれないけど、意外とゴミにはならずに役に立つんです。まず白い紙はメモ用紙は当然として、とじてノートにしたり、きれいならコピー用紙にしたり、とにかく役に立つんです!白くない紙はまな板として使って、あとは生ゴミとして捨てればよく燃えるしいいんです!実は、あっさり捨てられるものを挙げたほうが早いくらい物はなんでも捨てられません。本なんかだと大事なところをビリビリ破いて、他のところを捨てます。昨日図書館で借りてきた『「ワンピース世代」の反乱、「ガンダム世代」の憂鬱という本に、オリジナルCDを捨てるワンピース世代というのが載っていました。CDを買ってきてパソコンにおとしこんだらそれでオッケー、オリジナルは邪魔になるだけだから捨てるそうです。ジャケットを捨てる派の著者もさすがにびっくりしたと言っています。私はワンピースどころかガンダムでもなく、戦前派・おばあちゃん世代のようだ。でもホントはこれよくないと思う。もったいないとか、リサイクルとか言ってるけど、おばあちゃんたちの時代とは明らかに違う。おばあちゃんたちが物を捨てなかったのは、物がなかったからだ。捨てたら終わり、代わりがなかったからだ。私はどうだ?買ってくるいっぽうで捨てないから大変なことになっている。頭の中も同じだ。人生も一緒だ…とりあえず、紙捨てるか…そいで旅にでも出るか
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2011年07月18日

子どもの「ためす」という行為について

乳児院(3歳未満の子どもたちの児童養護施設)に勤務していた頃、子どもたちの行動に対し、「ためす」という言葉がよく使われた。文字どおり、子どもが大人を試すことなのだが、私にはこれがよくわからなかった。3年半の勤務経験しかなく、担当した子どもの数は二人だけだったからかもしれない。20年以上勤続のベテラン保育士はいわゆる「問題ありの、育てにくい」子どもを担当しており、いつもその子に「試されていた」。私にはそれが「ためし」であるということがわからなかったが、その保育士は常に「この子は私を試している」と言っていた。具体的にどういう行為かというと、泣き喚く、頭を壁や床に打ち付けるなどの自傷行為、他の子どもへの暴力などである。あたかも大人がどこまでガマンできるか、どこで切れるかを試すかのような執拗な行為だから、「ためす」というのだろう。エネルギーの全てをそういったことに向けているように見える。乳幼児だけではなく、小学生や思春期の子ども、あるいは大人にも見られる。だが、なぜ?まだ信頼関係ができていない相手に対して、この人はどこまでOKなのかを試すのはごく普通のことに思える。私だって新しい職場では、上司や同僚に対し警戒し、ちょっと試し行動をとったりもする。だがあくまでも、ちょっと。基本はおとなしく、周りを注意深く観察し、徐々に自分を出していく。なぜって、そのほうがラクで得だからに決まっている。相手のガマンの限界を知るために、非常識なことをしたり、相手を逆撫でするようなことを言ったりしては損だからだ。そんなことにエネルギーを使っていたら、仕事に差し支える。そんなことしないほうがよっぽどいいのだ。にもかかわらず、やるとしたらどういうときだろうか?おそらく、相手に対して徹底した不信感があるときだろう。全エネルギーを費やして、自滅してでもその相手に向かっていくだろう。子どもももしかしたらそうなのだろうか?「徹底した不信感」の原因が自分にあるにしろ、相手にあるにしろ、そこがポイントのような気がする。子どもに原因がある場合は多いと思うが、大人にはない、というか、仕事でやっている場合、そう思わないことには続けることができないのだろう。言葉ではどれほどいいことを言っていても、あるいは行動もそれなりに伴っていても、本心が違うことを見抜くのはそれほど難しいことではない。特に子どもは本能でわかるみたいだ。「ためす」子どもを大人は嫌がるが、本当に嫌なのは、試されることだろう。
posted by ゴブリン at 11:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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