2012年12月12日

橋下さんはなんで人気があるんだ?

実家の父が維新の会橋下代表を支持している。「橋下の言っとることは間違っとらん」「橋下は正しいこと言うとる」と言うのだ。父のことを、「わかってないね〜、これだから年寄りは…」とバカにするのは容易い。橋下代表の応援演説に詰め掛ける人、橋下さ〜ん、頑張って〜と声援を送る人、言いにくいことをはっきり言うので好感がもてるという高校生、これらの人を愚かだと言い切ることができるだろうか。実は私は橋下代表に好感こそ持っていないが、関心があり目が離せない。テレビで政策を語る橋下さんを見ていると、「この人なら何かしてくれそうだ」と思ってしまう。多くの人が橋下さんを支持するのはそれほど不思議ではない。小泉元首相は国民に絶大な人気があった。言い切り、決め付け、変人ぶり、過激さ、これらは一般人であれば嫌われる要因であるが、政治家であれば「頼もしい」となる。橋下さんだっていっしょではないか。私は公務員が大嫌いなので「公務員は身分だ」と言い切り、同一労働同一賃金を掲げる橋下さんには「賛成!!」と、1票投じたいくらいだ。維新の会への批判は多いが、なぜ多くの人が橋下さんになびくのか、なぜ多くの人がハーメルンの笛吹きについて行った子どもたちのように橋下さんについて行こうとするのか真剣に考えたことがあるのだろうか。ヒトラーに例えるのは妥当ではないかもしれないが、ヒトラーだってドイツ国民に熱狂的に支持されたのだ。父に話を戻すが、父は生活保護費が3.7兆円と知り、恐れおののいていた。「なんちゅうでかいとの金使とるがや」と言う。多くの人が同じ意見であろうと思う。だが、3.7兆という金額が多いのか少ないのかわかる国民がどれだけいるのだろうか?日本のGDP550兆円。なんちゅうどえらい金額や!!とかなるのだろうか?私は全然わからないな。兆なんて金額当たり前だけど普通の家庭や会社じゃ出てこないもの。国家予算だから兆が出てくるわけで。そいで、3.7兆円てのは、国民が眼を剥くような金額なんだろうか。報道の恣意性を疑うな〜。最貧困層の人たちがいるから悪いみたいなかんじじゃないか?国民の不満の捌け口にしようとしてないか?一方で橋下さんは小手先の貧困対策でお茶を濁して、既得権益を有する人を攻撃することで人気を得ている。なんか不吉だぞ。
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小人閑居して落ち着かず

失業中である。車検だ実務研修だ、お歳暮だなんだと金が出て行く一方である。失業している場合ではなく、仕事の選り好みなしで直ちに働かなければならないのに腰が重い。本当なら職がある11月中に次の仕事を探さねばならなかった。(ヒマな仕事だったので探す時間はいくらでもあった。)来月入ったらちゃんと探そう…と思ってるうちにもう今月に入り10日以上が経ってしまった。再就職手当てをもらいながら9ヶ月で仕事を辞めてしまった手前、ハローワークは行きづらい。いちおう退職理由は自己都合だが、正確には違うように思う。説明したら特定理由とかになりそうな気もしないではないが、やはり気が進まない。土日祭日休み、9時5時勤務中心となればマックぐらいしかないな。最初からマックでいいって思っていたのに、少しでも金が欲しいばかりに拘束時間の長いものに目がいったりしてなかなか決められない。毎日がヒマなのに時間がない、あっという間に時間が経ってしまうという感覚で、精神上よくない。なんといっても金が出て行く一方で入ってこないというのは強いストレスである。ヒマに飽かせて簿記や年金アドバイザーの勉強もしているが、そう何時間もやっていられるもんじゃない。時間やお金をふんだんに与えられて能力を発揮するというのは自分には無理なようだ。時間に追われ汲汲として、周囲の人間に当り散らしながら、それでもスキマ時間を利用したり、なんとかまとまった時間を捻出してがんばるというのが性に合っているらしい。貧乏性というほかないが仕方がない。来週マックの面接行くからね!!
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2012年10月19日

宙ぶらりんの落ち着かない気分

試験の結果を待っている間というのは落ち着かない。解答速報と各予備校の合格ラインの予想で合格はわかっているのだが、マークシートへの記入ミスも考えられるので不合格という事態も覚悟しとかなけりゃいけない。合格発表は11月10日である。無駄に過ごさないよう年金アドバイザー3級の試験勉強もしているし、関連書籍も読んでいるのだが、試験勉強をしていたときに比べると当然緊張感は薄い。勉強時間も比較にならないくらい少ない。こんなことしていていいのか…と不安になる。試験までは、終ったらあれもしよう、これもしようと楽しみにしていたのだが、いざ試験が終ってみると時間はそれほどあるわけではない。時間というのは意識して作り出すものであるということが試験勉強を通してよーくわかった。合格はスタートにすぎないとわかっているのだが、糸の切れたたこのような状態になってしまっている。漠然としたあせりばかりを感じている。
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2012年06月17日

いよいようちの子になります

さーちゃんがわが家に来てはや5ヶ月である。もはやいないことなど考えられない。さーちゃんが来る前ってどんなふうに過ごしてたんだろ?暇を持て余していたことは確かだ。独身で超忙しい人とかはいるんだろうけど、たいていの人は子どもでもいなけりゃド暇なんじゃなかろうか?(決め付け)私はさーちゃんが来る前は、自分では忙しいと思っていた。なんだかんだいって、やることっていっぱいあるし、わりと時間に追われていたのだ。さーちゃんと生活してみて初めていかに自分がヒマで、無為な日々を過ごしていたのかがわかった。とはいえ、つい数週間前まで、仕事と子育てと家事その他でいっぱいいっぱいで、「自分の時間がない!」「さーちゃんとも十分にかかわれない!」と、しょっちゅう切れていた。まじで、だんなと離婚したいとも思った。私は、だんなが全然手伝ってくれない、何もしてくれない、全部自分がするなんて無理!と思っていた。何度も何度も言い争って、もう無理と思い、それでもなんとか仲直りしてまたケンカしての繰り返しだった。だんなからは、仕事やめたら?とも言われた。私は余計逆上した。仕事がどうこうじゃなく、あんたが何一つしてくれないことが、腹が立ってしかたないんでしょ!!って言ったけど、だんなは、わかった、何すればいい?ととりあえず言うけど、やはり私がするものと思ってて、自分からは動いてくれなかった。でも、少しずつだけど、だんなは変っていった。そして私も自分ができないときは、お願いできるようになった。そして、仕事の量を減らすことに決めた。しばらくは時間の都合のつくホームヘルパーをするつもりだったのに、フリーという言葉につられてケアマネをすることになってしまい、しかもできないのに、管理者の言葉を真に受けて次々と引き受けてしまった。さーちゃんとの生活にも十分に慣れていないのに、8時から6時まで保育所に預けて、土日しかいっしょにいられないのにイライして…ようやくさーちゃんとの生活にも仕事にも慣れてきたところだけど、だからこそこのままいくんじゃなくて、一旦立ち止まろうと決めた。仕事も実は、スムーズとはいいがたく、このままのペースで続けるのは無理だなと感じている。さーちゃんも本格的にわが家のさーちゃんとなるべく手続きが始まるころなのだ。もうとっくの昔に、後戻りできないところに来ているのだが、いよいよ本当にうちの子になるのだ。ちょっと緊張。
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2012年02月28日

仕事って?子育てって?デザイナー・コシノアヤコさんのこと

NHKの連続テレビ小説「カーネーション」のモデルである小篠綾子さんの自伝小説『コシノ洋装店ものがたり』を読んでいます。私はテレビのほうは見たことがなく、綾子さんのことも、コシノ3姉妹のお母さんとしか知らないので、娘3人をデザイナーに育て上げた、自身もデザイナーである一人の女性の華麗な人生が描かれていると思い、本を読み始めました。予想とは全く違う内容でした。洋服が好きで好きで仕方がなく、寝る間も惜しんで服を作った職人・デザイナーとしての綾子さんと、仕事のために子どもを親や知人に預けなければならず、そのことがつらく苦しく、自分を責める綾子さんが書かれていました。泣き叫ぶ子どもを力づくで連れて行く知人をみて、「いくら仕事のためとはいえ、泣きすがる子に背中を見せてまでするほどの仕事なのか」という思いが心に突き刺さったとありました。確かにそのとおりなのです。仕事ってなんだろうと思います。以前新聞に、夫が働き妻が家庭を守るという日本の伝統的な習慣がなくなるとかなんとか書かれていたことがありました。でもそんな習慣はごく一部の人たちのことで、農民が大多数を占めていたのですから、夫も妻も、じじばばも一家総出で働いていたのが日本の伝統なのです。高度成長期になり、初めて夫は外へ、妻は家庭を守り、というのが普遍的になったのです。綾子さんが生きた時代、その地域では女は家にいるというのが当たり前だったそうで、綾子さんへの風当たりはむしろ今の時代と似てるかもしれないです。日本には、3歳児神話というものがあり、子どもは3歳までは親が自分で育てるものといわれています。今でも根強く残っています。私は保育士経験がありますが、この神話の根拠は知らないです。3歳までがいかに大切かということを考えればわかるのですが、いまひとつ納得がいかないのです。3歳児神話に縛られて、とにかく3歳までは保育所に入れず、働きにも行かない、子どもといっしょの時間を大切にするというお母さんがいます。そういう人の言ってることを聞いたり、やってることを見たりして思うのは、「勘違いも甚だしい」ということです。3歳まではぴったりくっついている、そのこと自体は正しいのではないかと思います。でもそうしなければ、と思ってる人は、子どもに対して恩着せがましく、うっとうしい存在であると思うのです。綾子さんの話からずいぶん外れてしまいましたが、仕事への情熱と子どもを思う気持は必ずしも相反するわけではないと思うのです。子どもを捨てて仕事に走る人、仕事を捨てて子育てに専念する人だって当然いるわけで、そこは両立などとキレイごとばかり言ってはいられません。でもやはり、それでもどっちも捨てきれないことだってあるのです。綾子さんの仕事に対する情熱と、子どもへの思いを、胸が苦しくなるほど感じます。食べるためにするのが仕事なのか、情熱を注ぐのが仕事なのか、どちらであっても、仕事は仕事。仕事と子どもで迷ったときは、この本を読み返そうと思う。
posted by ゴブリン at 12:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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