2011年07月18日

子どもの「ためす」という行為について

乳児院(3歳未満の子どもたちの児童養護施設)に勤務していた頃、子どもたちの行動に対し、「ためす」という言葉がよく使われた。文字どおり、子どもが大人を試すことなのだが、私にはこれがよくわからなかった。3年半の勤務経験しかなく、担当した子どもの数は二人だけだったからかもしれない。20年以上勤続のベテラン保育士はいわゆる「問題ありの、育てにくい」子どもを担当しており、いつもその子に「試されていた」。私にはそれが「ためし」であるということがわからなかったが、その保育士は常に「この子は私を試している」と言っていた。具体的にどういう行為かというと、泣き喚く、頭を壁や床に打ち付けるなどの自傷行為、他の子どもへの暴力などである。あたかも大人がどこまでガマンできるか、どこで切れるかを試すかのような執拗な行為だから、「ためす」というのだろう。エネルギーの全てをそういったことに向けているように見える。乳幼児だけではなく、小学生や思春期の子ども、あるいは大人にも見られる。だが、なぜ?まだ信頼関係ができていない相手に対して、この人はどこまでOKなのかを試すのはごく普通のことに思える。私だって新しい職場では、上司や同僚に対し警戒し、ちょっと試し行動をとったりもする。だがあくまでも、ちょっと。基本はおとなしく、周りを注意深く観察し、徐々に自分を出していく。なぜって、そのほうがラクで得だからに決まっている。相手のガマンの限界を知るために、非常識なことをしたり、相手を逆撫でするようなことを言ったりしては損だからだ。そんなことにエネルギーを使っていたら、仕事に差し支える。そんなことしないほうがよっぽどいいのだ。にもかかわらず、やるとしたらどういうときだろうか?おそらく、相手に対して徹底した不信感があるときだろう。全エネルギーを費やして、自滅してでもその相手に向かっていくだろう。子どもももしかしたらそうなのだろうか?「徹底した不信感」の原因が自分にあるにしろ、相手にあるにしろ、そこがポイントのような気がする。子どもに原因がある場合は多いと思うが、大人にはない、というか、仕事でやっている場合、そう思わないことには続けることができないのだろう。言葉ではどれほどいいことを言っていても、あるいは行動もそれなりに伴っていても、本心が違うことを見抜くのはそれほど難しいことではない。特に子どもは本能でわかるみたいだ。「ためす」子どもを大人は嫌がるが、本当に嫌なのは、試されることだろう。
posted by ゴブリン at 11:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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