2011年04月30日

じいちゃんは働き者である

小学生の頃、お手伝いといえば玄関掃除だった。お手伝い=玄関掃除と思い込んでいて、何の疑問も感じていなかったが、玄関掃除にはわけがあった。我家では、じいちゃんが朝早くに、自分たちの部屋から順々に箒で掃いていき、玄関に最終ゴミを落としていたのだ。その最後のところを子どもたちの仕事にしてあったのである。なるほど。じいちゃんが箒でシュッシュッと掃いている姿がなつかしい。じいちゃん=掃除する人であった。じいちゃんは働き者だったようだ。庭の花木の消毒も、背中に機械を担いでよくやっていた。柿やイチジクなどの果物も作っていた。特に葡萄をいっしょうけんんめい作っていたようだが、おいしい葡萄を作ることは素人には難しかったみたいだ。真っ黒で種のいっぱ〜い入った小粒のすごくすっぱい葡萄をよく食べた。長い間葡萄というのはすっぱくておいしくないものだとばっり思っていた。ある日お母さんがぶどう園に連れて行ってくれた。そこでだされた葡萄は形こそ我家で食べるものと変わりはないのだが、信じられないくらいおいしいのである。甘いのである。葡萄が甘くておいしいものだと初めて知ったわけである。目からウロコじゃないが、摩訶不思議な気分だった。今は種無しの葡萄が多く、それが主流のようだが、あの当時種無しはデラウエアだけだった。甘くておいしくはあるが、皮も薄く、食べ応えがないなあと思っていた。私にとって果物は、腹が減ったときにしかたなく食べるものであった。そして小さい頃から果物イコール甘いではなかったので、今でもフルーツはあまり好きではない。すっぱくないのはわかっていても、ケーキにのっていると、余計なもんのせてと思ってしまう。以上果物にまつわるじいちゃんの思い出でした。
posted by ゴブリン at 22:16| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イチジクにはカエルが入っている?

小学生の頃、じいちゃんは瀬戸裏で葡萄を作っていた。真っ黒で、種のいっぱいあるすっぱい葡萄であった。なので葡萄というのはすっぱいものだと思っていた。お母さんが近くのぶどう園に連れて行ってくれ、そこでデラウエアを食べたときには、たまげた。ぶどうって甘いんや!種ないんや!ってかんじだ。我が家では他にも、イチゴやイチジクなどを作っていた。イチゴは小さくて、じゃがいもみたいにでこぼこで、白いところと赤いところがまだらで、すっぱかった、なのでイチゴは砂糖をかけて食べるものだと思っていた。スーパーで売っている細長い赤い(女峰か?)イチゴを初めて食べたときは、別の果物かと思った。砂糖かけんでも甘い!ってかんじだ。私は今でも細長いあの形はニセモノのようにかんじる。イチジクは2階の窓から眺めたところ、甘くておいしそうに見えた。だが、お父さんから「パカーンと割れたとこからカエル入っとる」と脅され、イチジクはカエルが中に入っているので食べられないのだと本気で思っていた。後でわかったことは、イチジクはやはり、見た目どおり一番甘かったのである。私の実家は兼業農家で、米の他野菜や果物も作っていたので、店で買うということがあまりなかった。小学3年の頃、理科の実験で使うため、イチゴなどの空きパックをもってくるよう先生に言われた。家に帰ってお母さんに伝えるが、そんなもん家にない、とにべもない。先生にそのとおり言うが、持ってこなかったと言って怒るばかりである。お母さんに、先生に怒られた〜と訴えるが、ないもんを持って来いと言う先生が悪いと、取り合ってくれない。当時はお母さんを恨んだが、今考えたら悪いのはやはり先生だ。でも私は担任のその先生が好きだったので、お母さんが悪者に見えた。他にもお母さんが悪者に見えることが多々あった。子どもって見栄っ張りで自己中だからね。私はこどもがいなくて幸いだ。いたらどれほど悪者と思われていたか。
posted by ゴブリン at 22:08| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ばあちゃんゆずり

私は毎朝起きるとまず、ラジオをつける。NHK第一放送である。6時半のラジオ体操になると、音がやかましいので、一旦消す。そして終った頃またつける。第一だと確実にニュースが聞けるのと、CMがないのでうるさくないのと、音楽が好きなのとで、他の局に変えたことはない。いつ頃からか忘れたが、これが朝の習慣になっている。数年前に亡くなったばあちゃんも、朝は必ずラジオをつけて家事をしていた。ばあちゃんゆずりか?ばあちゃんは音量をかなり上げて聞いており、ラジオ体操がうるさくせわしなかった。私にとって、ラジオ体操は夏休みを象徴するものだったので、夏休みでもないのに、(夏でもなく)あの音楽が流れると落ち着かなかった。他にも私が今習慣としてやっていることや、なんとなくやっていることはばあちゃんゆずりのものが多い。時々昔の写真を眺めるのは、ばあちゃんもよくやっていた。あいそんなあなったら見るがやと言っていた。あいそんないとは、富山便で「つまらない」「おもしろくない」「さびしい」などが混ざった感情を意味する。私も同じである。なつかしいというよりも、日記を読み返すようなもので、そのときのことを思い出すと、なぜかがんばろうと思える。なんでももったいながってとって置いたり、度を越えた使い回しをするのも、ばあちゃんといっしょである。ばちゃんは、「やさしいおばあちゃん」というかんじではなく、田舎のきか〜んかんじのばあさんだった。生きているあいだは特に好きでも嫌いでもなく、ただ私のばあちゃんであった。あまり気が利くほうではなく、ややがさつで他人への配慮に欠けるところがあった。私といっしょである。ばあちゃんとのよき思い出というのはほとんどない。私が小学3年の頃、いっしょにマカロニグラタンを作ったことがる。365日のおかず百貨という本を見ながら、二人で悪戦苦闘していた。私もばあちゃんもグラタンなんてものは知らなかったのだから当然だ。すでに火が通ったものをさらに焦げ目をつけるため、オーブンに入れるということが理解できず、ホワイトソースで混ぜただけで済ませた。初めてで、焦げ目をつけていないグラタンではあったがおいしかった。これをよき思い出としておくか。
posted by ゴブリン at 21:45| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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