2010年12月29日

「無縁死」は怖いことかなぁ

読みかけて放ってあった『無縁社会』をなにげなく手にとってまた読み始めた。暮れも押し迫ったこの時期に無縁社会なんぞ読まなくともいいのに、読み始めたら止まらなくなってしまった。今年1月NHKスペシャルでやってた「無縁社会〜“無縁死”3万2千人の衝撃」の取材記録である。ひとり孤独に亡くなり引き取り手もない死を「無縁死」というそうで、年間3万2千人にものぼるらしい。NHKの取材班は無縁死となった人の過去を執拗に追跡している。ほんの少しのてがかりを基に粘り強く調べあげ、故人の生涯を見せてくれる。どの人もごく普通の人たちばかりであった。なぜこの人が無縁死に?という人ばかりである。人生における躓きはあるものの、それをきっかけにすっかり世間に背を向けてしまっている人が多い。失敗は許されないとばかりに…無縁死といっても、天涯孤独である人は皆無に等しく、親類縁者はいるが、遺体の引き取りや、埋葬を拒否されているのだ。もう何十年も会っていない、今さら死んだといわれても…そっちで処分してくれ、というかんじらしい。薄れる家族の絆、単身化の時代、社縁が切れた後に、おひとりさまの女性たち、若い世代に広がる無縁死の恐怖など、各章のタイトルを読んだだけで気分が沈む。自分自身を振り返ってみると、ひとごととは思えない。私が実家に帰るのは盆暮れの2回ぐらいだ。すぐ隣の県なので行こうと思えば月に1度ぐらいは行けるのだ。なのに、行かない。行きたくないというわけではない。なんか日々の生活で手一杯で、行こうという気にならないのだ。だが、日々の生活ってなんだろう?手一杯って、いったい何で手一杯だというのだろう?仕事はたしかに大変だ。だが毎日残業というわけでもない。家事やその他のことも特に忙しいわけではない。こう考えると、どうやら私は実家に帰るのが煩わしく、面倒くさいようだ。自分のことだけ考えているのが、居心地よくラクなのだ。最近の人は結婚してもよく実家に帰ってるそうだが、それは実家が近く、ごはんを食べさせてもらったり、食材やなにやかやを調達できて便利で、なおかつラクチンだからではないかと思う。実家にほとんど帰らないひとり暮らしの人が増えていることと、一見対極にあるようにみえるが、依存の延長のように思える。実家に帰るメリットがなくなったときが、実家に背を向けるときなのではないか。年末年始の買い物客でごった返している近所の激安スーパーで、おおぜいの家族連れを目にして、なんだかさめた気分になった。
posted by ゴブリン at 22:25| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月06日

忘年会の季節に物思う

忘年会の季節である。会社のや町内のやなんやかやとついつい食べ過ぎるこの時期、と言いたいところだが食べ過ぎるほどのごちそう(ともいえないしょぼいおかず…)もでないのが今のご時世。不景気よのぅ……とはいえ今回書きたいのはしょぼい料理への腹立ちではない。宴会によばれてやってくる女たちへの腹立ち及び嘆き、不可解な思いなどなどである。昨日、町内の忘年会があった。私は今年班長だったので、仕事が終った後すぐに手伝いに掛けつけた。日曜日だったので例年より1時間早く夜6時のスタートとあって、集まりはちょっと悪く6時過ぎてからくる人も多かった。男と女の割合は半々ぐらいであった。私はもてなす側であったので、お茶を淹れたりお酒を準備したり、町内のみなさんに気分よく過ごしてもらえるようサービスに努めていた。そして、すぐにあれっ?なんか違うぞ、おかしいぞと思った。私は富山の片田舎(在所というもんかな)で生まれ育った生粋の田舎女だ。祭りだ、葬式だ、法事だと行事のたびに大量の料理をこしらえて、酒を飲む男たちのために台所で忙しく立ち働くばあちゃんやおかあさん、親戚や近所のおばはんたちをずっと見てきた。女たちは招待したほう、されたほうなど関係ない。女は台所で働き、食事は空いた時間に台所で食べる。宴席には着かない。当然ながら男はその逆で、男であれば招待したほうもされたほうもただ飲んで食べて酔っ払うだけだ。そんなもんだと思っていた。そしてそんな男が大嫌いだった。忘年会によばれてやってくる町内のおばはんたちはそんな男たちのようだった。もてなされて当然、お客様然としてあれがほしい、これがほしいと勝手言い放題である。役員が働くのは当然とばかりに、お疲れ様・ありがとうの一言もない。役員は持ち回りなのでお互いさまだ。自分たちが役員の時にはいっしょうけんめいもてなしているのだろうと思う。しかし町内会での行事はお金をだしてサービスを受ける一般のものとはちょっと違う。そういう区別もつかなくなっているようだ。20代、30代の若い人のほうがむしろ遠慮がちで、いちいち頭を下げているくらいだ。60代〜70あたりがひどい。時代が変わったのだろうか…自由でかっこいいことなのだろうか。私にはみっともないことにしか思えない。
posted by ゴブリン at 21:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天下りのおじさんたち

先日、勤務する法人の忘年会があった。入社した年に一度出たことがあるのだが、料理がしょぼいのとがちゃがちゃうるさいうえに退屈なのとで、それ以来出ていなかった。11月に別の施設に異動となり、強制的に出ることとなった。日勤の後なのでお腹がペコペコで、食べたい一心で出掛けたのだが、講演などと称してホテルの総支配人(元スッチー)の話を1時間近くも聞かされた。法人の、安く挙げよう、職員にサービス精神のひとつも学ばせようというミエミエの魂胆に、腹が減ってるだけに腹が立った。女向けのマナーの本を5分ほどパラ読みしたら終るようなしょうもない話を延々と聞かされてしまった。それが終わり、ようやく食べられると思いきや、料理のでてくるのが非常に遅い。私は車で来てたのでお酒を飲むわけにもいかず、一口程度のサラダを食べた後、ウーロン茶をず〜っと飲んでいたのだが、苦痛であった。タダならいいが、これはタダではない。毎月800円徴収されている。忘年会で元を取る方法とかどなたかご存知ないか?
  職員の出し物やカラオケなどが佳境に入った頃、事務のおじさんが隣にきてしゃべりだした。最初の一言は「慣れましたか」だが、人の話を聞きたいわけでは全くないらしい。国立病院を定年退職した後この施設に呼ばれたとのことで、最後はどこぞの病院の事務局長まで務めただの、病院に比べれば特養なんて小さいだの、新しくできる施設(法人は小規模多機能施設を作ろうとしている)の施設長になれないかなあなどと好きなことをしゃべりちらしていった。今ある3施設の施設長はみな国立病院からの天下りのようだ。メディアでよく騒がれているあの天下りである。職員や客である利用者にかける金はとことん切り詰めて、いったい金はどこに消えているのかと思ったらおじさんたちじゃないか。それにしてもあの事務のおじさん、よほど太平天国を生きてきたのだろう。施設長になれるのかなあ…
posted by ゴブリン at 08:22| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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