2010年10月11日

異動の季節(私だけ)

異動の季節である。って違うか、私のとこだけか。私が勤務する社会福祉法人では1年ほど前から半年ごとに定期異動が行われることになった。それまでは離職率が高く、誰かが辞めたら補充のため異動を行うという具合であった。私が今のユニット型特養に採用になったのは4年前のことである。老人介護ははじめてで、ユニット型なんて言葉さえ知らず、来てみたら全室個室のユニット型(家庭的ケアらしい)だった。今回同じ法人内の従来型の特養に11月1日をもって異動となった。従来型から異動でユニット型にきた職員は皆同じことを言う。あそこはここ(ユニット型)と違って全てが流れ作業で入浴もおむつ交換も機械みたいにダーッと一斉にやる、つまり家庭的ではないということだ。昔の子沢山じじばば親戚までがいっしょに住んでいた大家族では家事や子育てなどはダーッと機械的にやらざるを得なかったと思うのだが、昔の家庭は家庭ではなかったのだな…ユニット型ケアこそ家庭的、家庭的ケアこそ入居者の望むケアなのか?このことについてはそのうち熱く語るとして、今回は別の話である。
 私はなんでも長続きしなくて(特に仕事)、アルバイトを含め16歳から仕事をしているが、最長が今の仕事の4年である。その前は3年半。これではいかん、せめてあと2〜3年はここで踏ん張らねばと思ってはいたものの、やめたい病に蝕まれもんもんとしていたのだ。何かが変わる、それだけで飽き病の私には十分である。行き先がどんなとこだろうとかまってられるかってとこだな。しかしこんな私だが、1年半前の施設内異動のときには、馴染んだユニットから別のユニットへいくのがなんだか嫌だった。自分がいなくなったらここの入居者はどうなるんだろう、なんて思ったものだ。三好春樹が「関係障害論」という本のなかで書いているが、メサイヤ(救世)・コンプレックスというらしい。乳幼児施設で働いていたときには陥ったが、まさか老人施設でも同じようなことが起こるとは想定外であった。危ない危ない。やっぱり異動は必要である。対人仕事につきもののリスクなのだろう。程度に違いはあるだろうが、他の職員をみていると少なからずこの傾向があるように思う。異動を含め変化を恐れるというか、不安感が強いようだ。馴染むのは悪いことではないが、同じ場所に留まり続けると弊害のほうが圧倒的に大きいのである。離れがたい気持はわからないでもないが、自分がいなくても大丈夫だし、他の人が新しいやり方でうまくやってくれる、そう割り切ったほうが断然よい。仮に自分が去った後状態が悪くなったところで、それは自分の問題ではない!そう思ったほうが断然よい。それに異動先でひょっとしたらなんかいいことがないとも限らない。なので定期異動は賛成であるが、そのやり方にはおおいに疑問を感じる。手を入れるべきところに全く手を入れていないからだ。
posted by ゴブリン at 06:56| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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